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問いは意志を創る

言語化の機能の根本は、自身と他者の間に生まれる対話ではなく、自身の内なる論理と混沌の間で行われる単純化と複雑化である。そして人間は、その中で意志の涵養を行う。



問いの起源を考えた時に、それはきっと驚異 Wonderであろう。内なる論理では決して単純化できない混沌に出会った時、人は答えより先に問いを立てる。問うという活動は、論理を求める人間にとって、非常に原始的で本能的なものであると言える。


「夢は?」と初めて聞かれた人は、恐らく即答することはできない。それはこの問い自体が驚異 Wonderであるからだ。人生を考えた時、未来の予測・展望ほど非合理的なものはない。しかし、それに答える・応えることに価値がある。それは、言語化による意志の創造に価値があることと同義である。

「夢は?」と二度目に聞かれた人は、金持ち/スポーツ選手/世界一周などと答え・応え始める。その言語化は、その人の心の内にストックされる。そして、時に思う。「やっぱりそうだ。」「本当にそうか?」

「夢は?」と三度、四度と聞かれていく内に、その意志は本人にとってより心地よいもの、具体的でビジュアライズされたものになっていくだろう。


問いが形作るものの中で、一番偉大なものは何であろうか?

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